京都簡易裁判所 昭和26年(ハ)2号 判決
原告 更雀寺
被告 若林音吉
一、主 文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
二、事 実
原告は、被告は原告に対し京都市中京区四条通大宮西入錦大宮町百十五番地更雀寺境内地蔵堂東側庇の部分約二坪を明渡せ、訴訟費用は被告の負担とする、との判決並にこれに対する担保を条件とする仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、原被告間の当裁判所昭和二十三年(ユ)第二二三号調停事件において原被告間において同年六月十六日左記条項により調停が成立した。
(一) 原告は前記の地蔵堂を礼拝祭祀並に祈祷の外他人をして使用せしめないこと
(二) 原告は被告に対して従前の通り地蔵堂の東側庇の部分を使用せしめること
(三) 被告は前項使用を易判断営業の目的に限定し他の目的のため使用し他人をして使用せしめ或は他人をして居住せしめないこと
(四) 被告は原告に対して燈明料として相当額を毎月末日原告方に持参支払うこと
(五) 調停費用は各自弁のこと
従つて被告は地蔵堂の東側庇の部分を易判断の営業の目的にのみ使用し、その収入に応じて相当の燈明料少くとも一ケ月参百円を下らざる金員を原告に贈与することになつたのである。
ところが被告は原告の寺に従来伝わる即成院の御香水の授与、脚気の祈祷を原告寺の僧侶なる如くに装い参詣者に施し、右調停条項第三項に違反し又は燈明料を持参せずして家賃と称して京都地方法務局に弁済供託をして右調停条項第四項に違反した。又被告は易判断の営業広告に原告の承認を得ず「すゞめ寺若林」と掲げ原告寺が易判断をして居るかのように世人を誤信せしめる所為をして原告寺の信用を傷け、或は原告寺の家族の悪評を流布して継続的債権関係の基礎をなす信頼関係を裏切るような行為をした。
よつて原告は以上の理由に基き昭和二十五年八月三日当裁判所に調停の申立をなすと同時に、右使用貸借解除の意思表示をした。蓋し使用貸借において期限の定めのない時は何時でも目的物の返還を求めることのできることは民法第五百九十七条の定めるところであり、又当事者の一方が義務に違反したときは相手方が使用貸借契約を解除できることは民法第五百九十四条第三項の定めるところである(東京地方裁判所大正五年(ワ)第一四九九号同年一月三日判決判例体系民法債権編各論上一一五六頁参照)。なお宗教法人令第十一条によれば寺院が不動産の処分行為をなさんとする場合は総代の同意を得ることを要し、当該寺院が宗派に属するときは更に宗派の主管者の承認を受けることを要するものとし、総代の同意及主管者の承認のないときはその処分行為は無効である。又民法第六百二条の趣旨に鑑み、三年を超える期間を定める建物の使用貸借は処分行為であると解せねばならぬ(戒能通孝著債権各論一九七頁大審院昭和七年四月十二日判決大審院民事判例集六四五頁政府解説纂輯宗教団体法解説(東京中央社刊行)八三頁参照)。ところが原被告間に昭和二十三年六月十六日成立した右調停においては原告代表者は寺院総代の同意を得ていないので処分行為はできない筋合であるから、期限の定めがないとしても使用貸借の期間は三年と定めたものと解すべきで昭和二十六年六月十六日までこの使用貸借は有効でその後は無効となつたものといわねばならぬ、と述べ、被告の抗弁に対し原告が燈明料として毎月五十円受領したことは認めるが、このような異常な低廉な料金を定める契約は特別な事情の存しない限り賃貸借ということはできない(大審院大正十四年二月二十六日判決法律新聞二三七六号二二頁判例体系債権各論中一一九七頁参照)。仮りに賃貸借であるとしても本件賃貸借の目的物は建物の一部であり借家法の適用はないから(広瀬武文著借地借家法コンメンタール一七五頁参照)、右使用貸借の場合について述べたと同一の理由により期間は三年と解すべきで、昭和二十六年六月十六日後は賃貸借は無効である。仮りに然らずとするも民法第六百十七条に基き解約の申入ができるから前記の通り昭和二十五年八月三日調停の申立のあつた時に解約の申入をもしたものと解すべきであるから、その後三ケ月の経過により賃貸借は解除せられた。仮りに以上の主張が総て理由なしとするも、被告において前述の如く調停条項の定める義務に違反して継続的債権関係の基本となる相互の信頼関係を裏切り一方原告においては礼拝、祈祷、加持のため地蔵堂を常時使用すべき必要に迫られて居るのであるから解約申入について正当の事由があるものというべきであり、昭和二十五年八月三日調停の申立のあつたとき解約の申入をしたものと解すべきであるから、その後既に六ケ月を経過した現在において賃貸借は解除せられ従つて被告は明渡の義務あるものといわねばならぬ。と述べた。<立証省略>
被告は、主文同旨の判決を求め答弁として、原告主張の事実中、昭和二十三年六月十六日原告主張のような条項に基き調停の成立したこと、昭和二十五年八月三日解約の申入のあつたこと、はこれを認める。その余の点は否認する。
そもそも被告は昭和七年五月原告より本件地蔵堂の一部を賃料を一ケ月五円と定めて賃借して居たが、その後宗教団体法の制定公布と共に「寺院等に無償にて貸付ある国有財産の処分に関する法律」が公布せられ、これによれば国有財産法により寺院又は仏堂に無償で貸付けてある国有財産は寺院又は仏堂の申請により寺院境内地処分審査会の諮問を経て主務大臣がこれを寺院又は仏堂に譲与することになつて居るが、寺院が他人に賃貸している場合には無償ではなく有償ということになつて居り、本件地蔵堂もこれ等法律の適用を受けなければならないことになつていたので原告は賃貸ということになれば無償譲渡の受けられないことを慮り、家賃なる名義を用うることをさけ家賃領収証の表紙の字句に「家賃受取之通」とあつたのを「御燈明料寄納受取之覚」(乙第一号証参照)と書きなおし被告外三名との間に存した家屋の賃貸借をも解除した。しかしながら被告はその後も名目は燈明料ではあるが地蔵堂使用の対価として従前の通り支払をして来たわけである。従つて調停条項第四項の所謂「燈明料」も地蔵堂の使用の対価の意味であることは明かである。地代家賃統制令第十二条が名目の如何を問わず実質的に家屋の使用の対価と見られるものは家賃と看做して統制の対象としている趣旨から考えても、家賃の概念は名目的形式的に考えらるべきではなく実質的に判断すべきで燈明料とあるも実質的には家賃と何等異るところはないから、本件地蔵堂の使用関係は法律上まさに賃貸借である。調停条項第四項に「燈明料として相当額を」とあるのは家賃相当額の謂であつて、被告は昭和二十三年十一月まで一ケ月五十円宛所謂燈明料として支払い原告も受領したのであるが、同年十二月に至り原告は一ケ月千円に値上げを要求し交渉まとまらずして原告は従来通りの燈明料の支払を拒絶したので、被告はこれを供託して居る次第である。
なお本件訴訟手続は準備手続を経たものであるから、原則として準備手続終結後においては準備手続において主張しなかつた新しい事実を主張することはできない筈である。従つて原告代表者が檀徒総代及宗派主管者の同意なくして調停に関与したことを前提とする一連の主張及正当事由による解約申入を原因とする主張はいずれも口頭弁論において新しく主張せられたものであるから、不適法として排斥せらるべきであるから却下の申立をする。仮に不適法でないとしても一ケ月五十円の賃料は本件賃借建物の面積場所等の関係より見て決して低廉ではなく相当である。又本件調停は原被告間に従来存在した賃貸借関係を確認したに過ぎず新たな処分行為をしたものといえないから、総代の同意宗派主管者の承認なしとするも宗教法人令第十一条の適用はない。即ち宗教法人令の施行は昭和二十年十二月二十八日で、本件賃貸借の成立したのは昭和七年で明治十年五月十六日大政官布告第四三号の適用を見るだけで総代の同意宗派主管者の承認を要しない、又宗教法人令第十一条の「処分」には建物の賃貸借は包含しない。本件賃借物は建物の一部ではあるが建物の一部といえども賃借人の保護の必要なことは独立家屋と何等選ぶところがないのみならず、本件賃借物は別個の出入口を有し他の部分とははつきり区別せられ、調停調書の記載には「庇の部分」とあるも軒先ではなく地蔵堂の建物の中の区劃せられた一部分で立派に部屋としての構造をもつて居るのであるから借家法の保護を受くるは当然である。その他民法第六百十七条に基き解約申入のできるとの主張及解約申入について正当の事由があるとの原告の主張は否認すると述べた。<立証省略>
三、理 由
昭和二十三年六月十六日原被告間において成立した調停において、原告が被告に対し原告寺境内地蔵堂東側庇の部分を従前通り使用せしめること、被告はこれを易判断営業の目的にのみ使用すること、被告は原告に対して燈明料として相当金額を毎月末日原告方に持参支払うこと、等を条項とする契約のできたことは原被告間に争がない。原告はこの契約は使用貸借であると主張し被告は賃貸借であると争うを以つて先ずこの点について判断せねばならぬ。使用貸借は物の使用収益が無償でなされる場合であり、賃貸借は物の使用収益が有償であり、使用収益の対価として賃金が払われる場合であり、その差異は一に物の使用収益に対し対価として賃金が払われるか否かにかかつて居る。そこで問題は右燈明料が賃金であるか又地蔵堂東側庇の部分の使用の対価であるか否かによつて決せられるわけである。燈明料なる語が本来寺院仏堂に対する金銭の贈与の意味を有することは一般顕著の事実ではあるが、しかしながら燈明料として相当額を毎月末日持参支払うという条項を他の調停条項ときりはなして単純なる贈与契約だということになると無期限に支払わねばならぬことになる無理がでて来る。そこで原告も易判断の収入に応じて相当の燈明料を払う契約だと主張せざるを得ないわけであり、押しつむれば易判断をする間即ち地蔵堂東側庇の部分の使用の対価として相当な燈明料を支払うという契約であると判断せざるを得ないことになり、結局調停条項を彼此対照するときは前示契約を賃貸借と解するの外はない。この事実は成立に争のない乙第一、二号証によつても確められる。これに反する証人杉本和嘉子の証言及原告代表者の陳述は採用できない。従つて使用貸借を前提とする原告の主張はいずれも理由なく排斥を免れない。なお原告は本件においては従来燈明料として毎月五十円の授受がありこれは異常に低廉な料金である上にこのように低廉な料金を定める特別な事情は存しないのであるから本件契約を賃貸借というは当を得ないと主張するも、不当に低廉であるとの事実は本件証拠をもつては認めることができないのみならず、前記認定の如く相当額の燈明料を支払う契約であるから原告は不当に低廉な料金であまんずる義務はない故原告の主張自体正鵠を失しているものといはねばならぬ。原告は仮りに賃貸借とするも本件は建物の一部を目的とするが故に借家法の適用なしと主張するもこの場合においても借家人の保護の必要あることは独立家屋の場合と異る筈のないことは被告主張の通りで借家法に建物の一部を除外してないことから見ても当然である。従つて民法第六百十七条は本件賃貸借には適用できないのであるから民法第六百十七条に基く解約申入に関する原告の主張も理由のないことは明かである。
次に原告は本件調停については原告代表者は檀徒総代の同意及宗派主管者の承認を得ていない故処分行為はできないはずであり、民法第六百二条の趣旨に鑑み三年以上に亘る期間を定むる賃貸借を締結する権限はないことになる。従つて本件賃貸借は期間を三年と定めたものと解すべきであると主張し、又原告は地蔵堂の礼拝、祈祷、加持のため本件目的物件をも使用する必要があり、且つ被告は原告の同意を得ずして易判断営業の以外に原告寺の伝法である即成院の御香水の授与並に脚気の祈祷を参詣者に原告寺の僧侶の如く装い施し、或は易判断営業広告に「すゞめ寺若林」と掲げあたかも原告寺が易判断をして居るが如く偽装する等全く寺の信用を傷ける所為をなし、或は原告代表者の家族の悪評を流布する等相互の信頼を裏切る行為があつたので、原告は解約の申入をなすにつき正当の事由があるのであるから本件賃貸借は解約申入により終了したと主張し、被告はこれに対しこれ等主張は準備手続終結後に新しく主張せられたものであるから不適法で却下せられるべきであると主張し、却下の申立をした。これ等主張が準備手続終結後口頭弁論において新しくなされたことは明かで又重大なる過失なくして準備手続において提出できなかつた旨の疏明もない。然れどもこれ等主張が著しく訴訟の完結を遅延せしめるものとも認めがたいから、被告の申立を採用せず原告のこれ等の主張について判断をすることにする。民法第六百二条により処分の能力又は権限を有しない者は賃貸借をなす場合において建物について三年を超える期限を定めることのできないことは原告主張の通りである。然れどもこの規定は賃貸借をなす場合における期限について制限を設けたに過ぎずして当事者の意思解釈の補充をするものでもなく、又当事者の定めた期限を三年に延長し或は短縮するものでもなく、当事者が期限を定めない場合にその期限を三年とするものでもない。原告はこの場合期限の定めのないときは賃貸借は三年間のみ有効でその後は無効になると主張するもこれは原告独自の見解であつて首肯できない。本件についてこれを見るに成立に争のない甲第三号証によれば本件賃貸借は期限の定めのないこと明かであり、仮りにこの賃貸借成立に際して原告代表者に処分の権限なしとするも、かかる賃貸借は民法第六百二条の適用を受けないからこれをなすに何等の妨げなく又本件賃貸借が成立後三年を経過することも計算上明かであるけれども、右説示の如くこれがため効力を失うものでもない。
次に原告が正当の事由として主張する礼拝、祈祷、加持のため必要とする事実については寺の性格の上から見て当然必要であることを推認することが出来るが、この必要は賃貸借成立当時においても存在したものと解すべきであるから、その後事情の変更のない限りその必要の程度に重大な変化があつたということも認めがたく、事情の変更があつたことは原告の主張も立証をもしないところである。又被告が調停条項に違反した事実については証人中島しず子、同川口政江、同杉本和嘉子の各証言によつてはこれを認めるに困難であるから、結局において原告の正当の事由による解約申入に関する主張も是認することができない。
従つて原告の請求は認容するに由なくこれを棄却すべきものとし民事訴訟法第八十九条を適用して主文の通り判決する。
(裁判官 西村悦蔵)